夜が静寂を取り戻す頃

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「いつでもどこでも」できるものは危険

Twitterや、すぐに立ち上げられるお気に入りのゲームなどがそれにあたる。

Creating Passionate Users: Is Twitter TOO good? に書いてある記事を以前読んでTwitterを頻繁に開くことを忌避するようになった。それでもTwitterを開いてしまうことがしばしばである。記事冒頭に内容がまとめがあるので引用する。

Twitter scares me. For all its popularity, I see at least three issues: 1) it's a near-perfect example of the psychological principle of intermittent variable reward, the key addictive element of slot machines. 2) The strong "feeling of connectedness" Twitterers get can trick the brain into thinking its having a meaningful social interaction, while another (ancient) part of the brain "knows" something crucial to human survival is missing. 3) Twitter is yet another--potentially more dramatic--contribution to the problems of always-on multi-tasking... you can't be Twittering (or emailing or chatting, of course) and simultaneously be in deep thought and/or a flow state.

  1. Twitterは「intermittent variable reward : 間欠的不規則報酬」の典型
  2. Twitterをすることで得られる「つながっている」感覚が脳をだましているが、それには重要な要素がかけおちている
  3. Twitterを常用する人は常にマルチタスクをしていることになり、深い思考が不可能になる

特に3番目が私にとって重大な問題だと考えている。私が5年以上続けている、とあるPCゲームも同じ性質を持っていて、長時間同じ作業をすることを妨げている。昔から同じことを続けることは苦手であったが、ある程度の裁量がするされる場面においては、その傾向が強く現れてしまう。

人間はマルチタスクをある程度こなせてしまうが、それはパフォーマンスが重要ではない作業をする場合にとどめておいたほうが良いと感じる。マルチタスクをしながら深く考えることは、少なくとも私には不可能だと思う。また、パフォーマンスが求められない「遊び」の場面においても、過剰なマルチタスクはやめたほうが良い。ゲームをしながらアニメを見る等、時間を「有効に」使った遊びをしてしまいがちだが、マルチタスクで得られる「作業」からは大きな喜びはない。マルチタスクを行った時点で、個々の「遊び」は「作業」に成り代わってしまうのである。作業は単なる義務であり、能動的な思考や感情が入り込む余地はない。ながら作業をする場合はせめて、どちらが本業なのかを意識しておくべきである。許容されるのは、聞き慣れた音楽を本作業の後ろで流すくらいであると思う。ゲームをするときはまとまった時間をとってゲームを楽しもう。アニメを見るときはアニメを楽しもう。

自戒の意をこめて。